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溝手保太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:07 UTC 版)

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溝手 保太郎(みぞて やすたろう、1877年明治10年)3月30日[1] - 1933年昭和8年)11月25日[1][2])は、明治から昭和時代初期の政治家実業家銀行家大地主[1]貴族院多額納税者議員

経歴

溝手直次郎の長男として岡山県都宇郡早島村(現都窪郡早島町)に生まれる[1]。一時直次郎の兄の養嗣子となるが、のち復籍し、9歳にして家督を相続する[1]1896年(明治29年)1月、早島、倉敷の地主、佐藤、綱島、大橋らと共に中備銀行を創立し頭取に就任した[1]。早島随一の大地主として120町歩小作地を経営し、その収入を株式や公債に当て利殖を図る[1]1910年(明治43年)韓国併合を契機に韓国にも180町歩の土地を購入、農場経営に着手した[1]。ほか、倉敷紡績、早島紡績各取締役、岡山合同貯蓄銀行頭取[1]、倉敷電灯、備作電気各取締役などを歴任した[2]

1911年(明治44年)から貴族院多額納税者議員互選人名簿に列し[1]1923年(大正12年)岡山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月6日[3][4]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[2]。在任中は研究会に所属した[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 岡山県歴史人物事典編纂委員会 1994, 964頁.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 215頁.
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  4. ^ 『官報』第3389号、大正12年12月8日。

参考文献




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