渋谷氏の薩摩下向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 01:47 UTC 版)
鎌倉時代の当主渋谷光重は、宝治元年(1247年)の宝治合戦の功により、薩摩国に多くの所領を得た。光重は長男・重直に相模国の所領を相続させ、残りの子らを薩摩の所領に下向させた。渋谷実重、渋谷重保、渋谷重茂、渋谷定心、渋谷重貞ら(うち何人かは死去していたので子孫)が下向し、光重の五男・定心は入来院を相続して入来院氏の祖となった。その後は定心の嫡男・入来院明重に地頭職を継承させ、その子・公重は元寇の際、北九州に出陣して、防衛に当たった。
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