清朝の統治と漢民族への同化政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:59 UTC 版)
「台湾問題」の記事における「清朝の統治と漢民族への同化政策」の解説
鄭氏による台湾支配はその後の清朝の攻撃によって短期間で終わり、台湾は清朝の支配下に入ることとなった。しかし、当初清朝は、抗清勢力を壊滅させる為に台湾島を攻撃したので台湾島の領有には消極的であった。 だが、最終的には海賊の蔓延を防ぐという軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で福建省の統治下に編入した。ただし、それ故に、台湾本島における清朝の統治範囲は島内全域に及ぶことはなく、半ば見捨てられた島状態となって行った。以上の経緯が台湾独立派の主張する「歴史的に中華人民共和国の台湾領有権は不当」の根拠の一つになっている。
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