深谷上杉氏流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 02:15 UTC 版)
上杉氏憲上杉憲盛の子として誕生。天正3年(1575年)、父・憲盛の死を受けて家督を継ぐ。天正6年(1578年)に北条氏政の養女を正室に迎え、氏政の猶子となる。この時、氏政の「氏」の字を貰って氏憲と称する。その後、北条氏邦の傘下として各地を転戦する。 天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、小田原城に立て籠るが、劣勢と判断した重臣の秋元長朝・杉田因幡守らによって居城・深谷城が開城されて降伏。その後は久保田と姓を改める。
※この「深谷上杉氏流」の解説は、「窪田氏」の解説の一部です。
「深谷上杉氏流」を含む「窪田氏」の記事については、「窪田氏」の概要を参照ください。
- 深谷上杉氏流のページへのリンク