海蔵寺 (京丹後市)とは? わかりやすく解説

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海蔵寺 (京丹後市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 09:47 UTC 版)

海蔵寺
海蔵寺(2019年5月)
所在地 京都府京丹後市網野町掛津102
位置 北緯35度41分58.3秒 東経135度03分18.5秒 / 北緯35.699528度 東経135.055139度 / 35.699528; 135.055139座標: 北緯35度41分58.3秒 東経135度03分18.5秒 / 北緯35.699528度 東経135.055139度 / 35.699528; 135.055139 
山号 掛津山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼如来
創建年 (伝)元和3年
開基 (伝)梅岩舜貞座元
法人番号 1130005011045
海蔵寺
海蔵寺 (京都府)
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海蔵寺(かいぞうじ)は、京都府京丹後市網野町掛津102にある曹洞宗寺院。山号は掛津山(かしんざん)[1]。本尊は釈迦牟尼如来である[1]。国指定天然記念物「琴引浜鳴き砂」の保全を祈願するお寺である。

歴史

長和年間(1012年 - 1017年)には掛津浦前浜の人家が増えたことで、字椿原に一堂宇を建設したことに起源を持つ[1]。長和3年(1014年)頃から長禄3年(1459年)頃まで、本寺は字椿原にあり、薬師如来および日光・月光両菩薩が奉置されていた[2]

もともと海蔵寺は真言宗であったが、2021年(令和3年)現在は曹洞宗智源寺末である[3]元和3年(1617年)には堂宇と仏像を大道の地に移し、正徳2年(1712年)に墓の下に精舎を創建して海蔵寺と称した[3]文政6年(1823年)4月1日、火災で海蔵寺は全焼した[3]

火災後には東之丘の現在地に境内を定め、中興2世である良獄鶴栄和尚の代に寺を建てた[2][4]。1927年(昭和2年)3月7日、北丹後地震により寺は全壊・全焼し、墓石のほとんどが倒壊、過去帳も焼失するなど甚大な被害を受けた[2]。そのため、1930年(昭和5年)に応急措置として本堂が再建され、この本堂が今日に至っている[2]

境内

  • 本堂 - 本尊の釈迦牟尼如来は木彫で37cmである[5]禅宗寺院として座禅の普及に努めており、本堂では座禅体験を行っている[6]
  • 山門 - 名称は琴祥門。
  • 大乗妙典塔 - 安永8年(1779年)建立[5]

行事

アクセス

鉄道
京都丹後鉄道宮津線網野駅より車約10分。
自家用車
国道178号近く[3]

脚注

  1. ^ a b c 『網野町誌下』網野町役場、1996年、205頁。 
  2. ^ a b c d 『網野町誌下』網野町役場、1996年、207頁。 
  3. ^ a b c d 『網野町誌下』網野町役場、1996年、206頁。 
  4. ^ 掛津において一般的に東之丘とは国道178号の東側の丘を指すが、火災後に境内が定められた東之丘は小字墓の下の東側の丘のこととされる。
  5. ^ a b 網野町史編纂委員会『網野町史』網野町、1960年、182-183頁。 
  6. ^ a b 海蔵寺座禅体験 琴引浜鳴き砂文化館

参考文献

  • 網野町誌編さん委員会『網野町誌 下』網野町役場、1996年



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