洪昌燮とは? わかりやすく解説

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洪昌燮

(洪滄燮 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/03 14:00 UTC 版)

洪 昌燮のち洪 滄燮(ホン・チャンソプ、朝鮮語: 홍창섭1905年4月6日 - 2001年5月13日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国公務員政治家原州郡三陟郡郡守春川市長、第2・3・8・9代韓国国会議員、第7代江原道知事を歴任した[1]

本貫南陽洪氏海陽[2][1]

名前について

1958年の第4代総選挙までは「洪昌燮」という名前を使ったが、同選挙で民主党桂珖淳に敗れた後、「『昌』字の運勢が尽きた」という助言を受け、また親戚にも同じ漢字名の人がいるため、同音の「洪滄燮」に改名した。その後は江原道知事となった一方、投獄も経験して1967年の第7代総選挙で落選し、新民党移籍後の1971年の第8代総選挙と1973年の第9代総選挙で2連続復活当選した[3]

経歴

江原道春川郡または楊口郡出身。1925年、春川農業高等学校卒。平昌郡勧業課長、三陟郡守を経て、光復後は原州郡守、春川府尹、春川市長、国民会江原道支部長、国会運営委員長・農林分科委員長・1954年産秋穀売上特別対策委員会委員長・江原道本部会会長・国民防衛軍事件調査委員・国会議員舌禍事件調査委員・申亨植事件調査委員、自由党春川市党委員長・中央党組織部長・中央党部監察副委員長、江原道農民会会長、第7代江原道知事(1959年5月13日〜1960年4月30日)[4]、江原道儒道会会長、新民党江原道党委員長、国会無所属議員会会長を歴任した。1982年からは国会議員同友会副会長・国会政策研究委員会議長、大韓民国憲政会第6代会長を歴任し、2001年5月13日に老衰により死去した[2][1][5]

活動

国会議員在任中は地主転業に関する建議案とマッカーサー線の確保に関する決議案を提出し、可決させた[5]

不祥事

江原道知事在任中に3・15不正選挙に関与したため、四月革命により失脚した後は2年間投獄された[5][3]

脚注

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年9月3日閲覧。
  2. ^ a b 김영선, “홍창섭 (洪昌燮)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0074794 2025年9月3日閲覧。 
  3. ^ a b 의회정치 60년, 선량들이 낳은 진기록|신동아” (朝鮮語). 신동아 (2008年8月4日). 2025年9月3日閲覧。
  4. ^ 강원특별자치도청 - 새로운 강원! 특별 자치시대!” (朝鮮語). 강원특별자치도청 - 새로운 강원! 특별 자치시대!. 2025年9月3日閲覧。
  5. ^ a b c 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年9月3日閲覧。



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