法性寺_(上野原市)とは? わかりやすく解説

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法性寺 (上野原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 14:36 UTC 版)

法性寺
所在地 山梨県上野原市鶴島1351
位置 北緯35度36分33.0秒 東経139度6分57.9秒 / 北緯35.609167度 東経139.116083度 / 35.609167; 139.116083座標: 北緯35度36分33.0秒 東経139度6分57.9秒 / 北緯35.609167度 東経139.116083度 / 35.609167; 139.116083
山号 富士山
院号 威徳院
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 大同年間(806年 - 810年
開山 弘法大師空海
中興年 元禄16年(1703年
中興 真正
文化財 木造阿弥陀如来坐像(山梨県指定有形文化財)
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法性寺(ほうしょうじ)は、山梨県上野原市にある天台宗寺院である。

歴史

大同年間(806年 - 810年)、弘法大師空海によって開山された。空海東国巡錫の際に、薬師如来を安置して寺を創建したのが当寺の起源である[1]

元々は甲斐国都留郡上吉田村(現・山梨県富士吉田市)に位置し、「白蓮山連乗寺」という真言宗の寺であった。1703年元禄16年)に真正によって中興され、現在地に移転した。その際に「法性寺」に改称し、天台宗に転宗した[1][2]

享保年間(1716年 - 1736年)、江戸下谷(現・東京都台東区北上野)の燈明寺より阿弥陀三尊を譲り受け、本尊とした[1]

歴史ある古刹であるが、無住(住職不在)の期間が多かったため、現在は山梨県南都留郡忍野村の東円寺の住職が兼務している[1][2]

文化財

  • 木造阿弥陀如来坐像(山梨県指定有形文化財 昭和40年5月13日指定)[3]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c d 法性寺東円寺
  2. ^ a b 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年、4p
  3. ^ 山梨の文化財ガイド(データベース)彫刻07山梨県

参考文献

  • 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年



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