法性寺大路と伏見街道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 07:42 UTC 版)
京都の鴨川東岸には、古くから奈良へ至る道が通っており、平安時代に鴨川東岸に広く勢力を有していた法性寺の名から、法性寺路または法性寺大路と呼ばれた。この法性寺大路は伏見街道と多くで重なるが、法性寺(現東福寺)付近では若干西側(鴨川側)のルートを取っていたようである。したがって伏見街道は秀吉が新たに開いた道ではなく、従来あった道(大和大路、法性寺路など)を再整備して伏見まで導いたものであろう。
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