法専寺 (常陸大宮市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 法専寺 (常陸大宮市)の意味・解説 

法専寺 (常陸大宮市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 02:19 UTC 版)

法専寺
所在地 茨城県常陸大宮市東野921
位置 北緯36度34分15.9秒 東経140度21分52.8秒 / 北緯36.571083度 東経140.364667度 / 36.571083; 140.364667座標: 北緯36度34分15.9秒 東経140度21分52.8秒 / 北緯36.571083度 東経140.364667度 / 36.571083; 140.364667
山号 楢原山
院号 法徳院
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 嘉禄2年(1226年
開基 明法
テンプレートを表示

法専寺(ほうせんじ)は、茨城県常陸大宮市にある浄土真宗本願寺派寺院

前史

当寺の開基の明法は、平宗盛の子といわれている。なお、当寺の寺伝によれば、宗盛の次男平能宗としている。壇ノ浦の戦いにおいて平家が滅亡した後は、修験道を究め、修験者「弁円」として、日本全国にその名を轟かせた。弁円は佐竹氏第3代当主佐竹秀義に招かれ、現在の当寺の一帯を寺領500として与えられ、修験道の寺院「法徳院」を創建した。ところが、浄土真宗宗祖親鸞常陸国を拠点としたことで加持祈祷に訪れる参拝者が減少した。弁円はこれに憤慨し、親鸞を殺害しようとして稲田草庵(現・西念寺)に押し入った。弁円は親鸞と対面したところ、たちまちに改心して親鸞に弟子入りすることになり、「明法」に名を改めた[1][2]

歴史

明法は5年間親鸞に師事し、1226年嘉禄2年)に法徳院の寺領に寺を創建した。これが当寺の起源である[1][2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、268p
  2. ^ a b 法専寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  法専寺 (常陸大宮市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「法専寺 (常陸大宮市)」の関連用語

法専寺 (常陸大宮市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



法専寺 (常陸大宮市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの法専寺 (常陸大宮市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS