忠義王とは? わかりやすく解説

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忠義王

(河野宮 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 02:16 UTC 版)

忠義王(ただよしおう / ちゅうぎおう、永享12年(1440年)以降 - 長禄元年12月2日1457年12月18日))は、室町時代の皇族。南朝の再建を図った後南朝の第2代(『南方紀伝』では第4代)・自天王(北山宮)の弟。後南朝の征夷大将軍ともいわれるが定かではない。河野郷によったので便宜上、河野宮とも称する。地元に伝えられる位牌には河野宮を忠義禅定、兄の北山宮を自天勝公と称している。


  1. ^ 「康富記四」(笹川種郎編『史料大成』続編32)
  2. ^ 芝葛盛「長慶天皇の皇胤について」『史苑』第2巻第1号、立教大学史学会、1929年4月、 19-35頁。
  3. ^ 森 1997, p. 206.
  4. ^ 「堀秀世上月満吉連署注進状」(帝国学士院編『帝室制度史』第5巻)
  5. ^ 「赤松記」(塙保己一編『群書類従』第14輯)
  6. ^ 森 1997, p. 210.
  7. ^ 伝説の後南朝 神器巡る悲劇、今に伝える 朝拝式(奈良県川上村) 古きを歩けば(18)”. NIKKEI STYLE (2012年2月7日). 2021年8月17日閲覧。
  8. ^ 後南朝史編纂会 1981, p. 110.


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