忠綱寺とは? わかりやすく解説

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忠綱寺

読み方:チュウコウジ(chuukouji)

宗派 真宗大谷派

所在 東京都台東区

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

忠綱寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 17:00 UTC 版)

忠綱寺
忠綱寺の門前より
所在地 東京都台東区池之端2-5-43
位置 北緯35度42分56.8秒 東経139度45分58.1秒 / 北緯35.715778度 東経139.766139度 / 35.715778; 139.766139座標: 北緯35度42分56.8秒 東経139度45分58.1秒 / 北緯35.715778度 東経139.766139度 / 35.715778; 139.766139
山号 向岡山
院号 渡邉院
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛永3年(1626年
開基 渡辺忠綱(実質的には弟の渡辺吉綱
公式サイト 真宗大谷派 忠綱寺
法人番号 4010505000390
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忠綱寺(ちゅうこうじ)は、東京都台東区にある真宗大谷派寺院

歴史

1626年寛永3年)、渡辺忠綱の開基である。忠綱の領地を継承した弟の渡辺吉綱が兄の菩提を弔うために寺を創建した。これが当寺の起源である。「渡邉院忠綱寺」という院号・寺号も忠綱に由来する[1]

後に吉綱は兄の所領「武蔵比企」を継ぎ石高の加増により、丹後守吉綱として大名に列している。当寺には2代方綱以降の多くの伯太渡辺家当主の墓がある[2]

当寺の本尊阿弥陀如来である。三河国にあった了善寺(現在は埼玉県東松山市に移転)にあったものを移したものである。恵心僧都源信の作といわれている[3]

建立後、駿河台の地が大火に遭い伽藍を焼失、寛永6年8月17日、池之端に移転し今日に至る。

墓地 

[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 東京市下谷区 1935, pp. 1052–1053.
  2. ^ 忠綱寺の歴史”. 忠綱寺. 2021年2月18日閲覧。
  3. ^ 忠綱寺のご案内”. 忠綱寺. 2021年2月18日閲覧。
  4. ^ 忠綱寺”. 谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー. 2023年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月9日閲覧。

参考文献

  • 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年。NDLJP:1233643 
  • 寛政重修諸家譜 天保武鑑[要文献特定詳細情報]
  • 新編武蔵風土記 御府内寺社備考[要文献特定詳細情報]

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