沙也可=雑賀衆説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:49 UTC 版)
文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮に渡ったものの、朝鮮軍に投降して日本軍と戦ったとされる沙也可、朝鮮名を金忠善(キム・チュンソン、ハングル表記:김충선)と呼ばれる人物が雑賀衆の人物であるという説がある。小説などではよく取り上げられる説であるが、根拠としては雑賀(サイカ)が訛って朝鮮読みの사야카(サヤカ)と伝わったという説や、雑賀衆は文禄・慶長の役の戦列に加わっており、銃砲技術を精通している集団に属し、秀吉方に叛意がある倭人であることから、この説が浮上したと見られる。他にも日本の史料に鈴木善之という人物が雑賀衆に存在していた記録が残されており、善之が沙也可だと仮定すると金忠善の名は、善之から取った可能性も示唆されている。あざなとして「善之」を名乗っていることが確認てきている。
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