決戦と最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:22 UTC 版)
2010年2月、キスマヨをめぐってアル・シャバブと戦っていたラスカンボニ軍の主将ハッサン・トゥルキーは、突然ヒズブル・イスラム陣営から離脱しアル・シャバブへ合流した。これにより、ヒズブル・イスラムはソマリア南部の支配圏に大穴を開けられることになった。彼の率いたラスカンボニ軍は、トゥルキーとともにアル・シャバブへ合流する部隊とヒズブル・イスラムに残る部隊に分裂した。もっとも、ヒズブル・イスラムに残った部隊は間もなくソマリア政府軍に寝返った。 さらに、アル・シャバブはヒズブル・イスラムの部隊が集結していたヒラーン州へ侵攻し全土を占領、、数ヵ月後にはガルムドゥグのベイ州を占領していたヒズブル・イスラム系勢力を排除し、中部の町ブールハカバを完全に制圧した。 残り少ないヒズブル・イスラムの支配地だったゲド州のルークもすぐにアル・シャバブ へ降伏し、ヒズブル・イスラムが保持していた地位をアル・シャバブが公然と乗っ取り始めていた。 結局12月20日、ヒズブル・イスラムは議長ハッサン・アウェイスの名で、以後ヒズブル・イスラムはアル・シャバブに合流し、一体となって活動を続けることを発表した。
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