池見茂隆とは? わかりやすく解説

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池見茂隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 15:47 UTC 版)

池見 茂隆(いけみ しげたか、1899年明治32年)9月18日[1] - 1973年昭和48年)12月19日[2])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員(1期)。

経歴

福岡県[2]糟屋郡仲原村[3][4][5](現粕屋町)で、実業家・池見辰治郎[注釈 1]の長男として生まれる[3]。幼少期に福岡市博多柳町に転居した[5]。福岡市立福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)を経て[4]早稲田大学商科で学んだ[2][3][4]

その後、家業の池見合資会社社員、酒精会社重役となる[5]。その他、大日本酒精監査役、大日本酒類醸造取締役、文化味噌社長、池見(合)代表社員、九州製作所社長なども務めた[2][3]

政界では福岡市会議員に在任した[2][3][4][5]。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙福岡県第1区から民主自由党公認で出馬して当選し[6]、衆議院議員に1期在任した[2]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では自由党の公認問題で立候補を断念した[5]

その他、福岡商工会議所理事、同常議員を務め[2]、1954年(昭和29年)に同専務理事に就任した[4]

1969年(昭和44年)秋の叙勲勲三等に叙され、瑞宝章を受章する[7]

1973年(昭和48年)12月19日、死去した。74歳没。翌1973年1月11日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって正五位に叙された[8]

脚注

注釈

  1. ^ 『ふるさと人物記』9頁では辰次郎。

出典

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、29頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』55頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第16版 上』い54頁。
  4. ^ a b c d e 『日本経済新報』9 (4)、67頁。
  5. ^ a b c d e 『ふるさと人物記』9頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』350頁。
  7. ^ 『官報』号外第146号2頁 昭和44年11月4日号
  8. ^ 『官報』第14113号12頁 昭和49年1月16日号

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第16版 上』人事興信所、1951年。
  • ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 「地方人物誌 福岡商工会議所専務理事 池見茂隆氏」『日本経済新報』9 (4)、日本経済新報社、1956年2月。



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