水町百窓とは? わかりやすく解説

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水町百窓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 09:16 UTC 版)

みずまち ひゃくそう

水町 百窓
生誕 藤井秀雄
1907年8月10日
兵庫県淡路島
死没 1978年秋以降
死因 脳血栓
職業 詩人俳人
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水町 百窓(みずまち ひゃくそう、1907年明治40年〉8月10日 - 1978年昭和53年〉秋以降)は、日本の詩人俳人。本名は、藤井 秀雄。

経歴

兵庫県淡路島に生まれる[1]

昭和初期、神戸の貿易会社に勤める傍ら佐藤惣之助主宰の詩誌『詩之家』の同人となり、『生活の一章』(詩之家出版部、1932年)や『自画像』(詩之家編輯部、1933年)と言ったモダニズム詩集を出す。『詩之家』の同人であった山下豊次郎、高木真弓(拓川)、大庭郁二らと詩誌『詩短冊』を出して水町が主宰する(1931年6月、『線』と改題)[2]。また、『詩之家』の同人となる以前は池永治雄、能登重夫、天野隆一らの詩誌『詩章』に参加していた[3]京都の詩誌『青樹』(1932年、『麵麭』と改題するが1934年に再び『青樹』に戻し1937年廃刊)に参加していた時期もある[4]

戦後、大阪田辺製薬に勤める[3]。その後、俳句に転じ、前述の山下と共に本名で久保田万太郎の主宰する俳誌『春燈』に所属する[3]。『句集羇旅』(春燈社、1970年)がある。1978年秋以降、脳血栓で死去した[注釈 1]。享年71歳[3]

詩風

『生活の一章』(詩之家出版部、1932年10月)の装幀を古賀春江が担当しているが、水町の詩風も古賀の絵と通じるものがあり、藤田三郎は「まるで古賀春江の絵のような詩である。どちらにも共通したポエジーがある。かれの合理主義は、情緒も意志も物質的に還元・構成し、独自な詩的風景を造型するところにあった。」と述べている[2]

著作

詩集

  • 水町百窓『生活の一章』 詩之家出版部、1932年10月15日
  • 水町百窓『自画像』 詩之家編輯部、1933年8月

句集

  • 藤井秀雄『句集羇旅』 春燈社、1970年

脚注

注釈

  1. ^ 水町の追悼文が載った『詩の家No.69〈通刊147号〉』(詩の家、1979年1月)には肝心の水町が死去した日が載っていない。ただ、「享年71歳」と書かれているので少なくとも1978年8月10日以降に死去したことが判る。この号が発行されたのが1979年1月なので、便宜上、死去した時期を1978年秋以降とした。

出典

  1. ^ 『詩之家年刊詩集』一九三二年春季版 p.147
  2. ^ a b 藤田三郎「白の喪章〈水町百窓君を悼む〉」 『詩の家No.69〈通刊147号〉』(詩の家、1979年1月)pp.22-23
  3. ^ a b c d 兼松信夫「水町百窓君を悼む」 『詩の家No.69〈通刊147号〉』(詩の家、1979年1月)pp.21-22
  4. ^ 『年刊文芸京都 1961年版』(京都市文化団体懇話会、1961年)pp.279-280

参考文献

雑誌

  • 兼松信夫「水町百窓君を悼む」 『詩の家No.69〈通刊147号〉』(詩の家、1979年1月)pp.21-22
  • 藤田三郎「白の喪章〈水町百窓君を悼む〉」 『詩の家No.69〈通刊147号〉』(詩の家、1979年1月)pp.22-23

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