毛利匡民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 01:13 UTC 版)
|
|
---|---|
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 寛政12年6月29日(1800年8月19日) |
死没 | 文化14年6月22日(1817年8月4日) |
藩 | 長門清末藩世嗣 |
氏族 | 毛利氏 |
父母 | 毛利匡邦 |
兄弟 | 匡民、毛利元義養女 |
毛利 匡民(もうり まさたみ)は、江戸時代後期の長門国清末藩の世嗣である。
生涯
毛利匡民は、寛政12年6月29日(1800年8月19日)に長門国清末藩の第4代藩主・毛利匡邦の長男として誕生した。清末藩の嫡子として成長したが、家督を相続することなく文化14年6月22日(1817年8月4日)に18歳で早世した。
匡民の早世に伴い、清末藩は後継者の問題に直面した。代わって、伊勢国長島藩主・増山正賢の次男である毛利政明が養子として迎えられ、新たな嫡子となった。政明は後に第5代清末藩主を継承することとなる。
参考文献
- 毛利氏(大江氏)・政苗流の系図
- 毛利匡民とは? わかりやすく解説 - Weblio辞書
- 毛利匡邦(もうり まさくに)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- 毛利匡民のページへのリンク