死後の列聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 14:22 UTC 版)
「アッシジのフランチェスコ」の記事における「死後の列聖」の解説
フランチェスコの死の数日後、小さき兄弟団の総長エリアは世界中のメンバーに対して書簡でフランチェスコの聖痕を報告した。多くの人々がフランチェスコの墓に殺到して、多くの奇跡が報告されるようになった。フランシスコの列聖が宣言されたのは1228年7月のことである。死後2年にも満たない迅速なこの処置はグレゴリウス9世、つまりかつてフランチェスコを庇護して助言を与えていたウゴリーノ枢機卿によるものだった。そして、1230年にエリアが建てさせた壮麗なサン=フランシスコ大聖堂の地下に移葬された。
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