死と戦闘後の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/09 06:09 UTC 版)
数時間後、ヘームーの軍は壊走し、ヘームー自身も帝国軍に捕えられて、意識も朦朧とするなか、アクバルの前に引きずり出された。 バイラム・ハーンは、アクバルに「ガーズィー(聖戦士)」として処刑するようにすすめた。だが、アクバルが「抵抗しない者を斬るのは嫌だ」と言ったため、ヒームーはバイラム・ハーン自らによって処刑された。 ヘームーは一ヶ月足らずしかその栄光を味わえず、商人からデリーの王座にまで上りつめた男の生涯は、ここに幕を閉じた。ヘームーの首はカーブルへ、体はデリーへそれぞれ送られた。その後、帝国軍はヘームーの軍を大量虐殺し、首でモンゴル式の塔を作り、その死体はパーニーパットからデリーまで続いたとされる。 11月7日、アクバルがデリーに入城し、ヘームーの父ラーイ・プーラン・ダースは捕えられ、イスラーム教に改宗することを強要されたが、拒んだために処刑された。その後、アクバルはデリーで統治をはじめ、ムガル帝国は黄金期を迎えたることとなった。
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