武田信由とは? わかりやすく解説

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武田信由

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/03 23:58 UTC 版)

武田 信由(たけだ のぶよし、生年不詳 - 天正10年(1582年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将若狭守護大名武田信豊の子。兄に武田義統。初名は元康。通称は三郎。官途名は上総介。

細川氏京兆家(細川晴元または細川氏綱)から偏諱を与えられて元康と名乗っていたが、父・信豊と兄・義統が争った時に信豊方について敗れ、弟の義貞とともに甲斐国武田信玄の下に亡命して、食客としての待遇を与えられた。なお、信豊が弓馬などの武家故実を元康(信由)に伝授したとする記録がみられるため、信豊・義統の争いの原因を信豊が義統を排して元康に家督を継がせようとしたとする木下聡の説がある。

一時、足利義昭に仕え、信由と改名して上総介の官途名を与えられる。義昭の下では武田信玄や浅井久政との交渉にあたっている。義昭の没落後は甲斐に戻り、義昭と共に毛利氏を頼った兄弟(信景信方)を介して、甲斐武田氏と義昭および毛利氏との仲介役となった。

天正10年(1582年)3月に織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐によって甲斐武田氏が滅亡した際に、「若狭武田ノ五郎」が生け捕られて殺害されたとされる(『多聞院日記』天正10年3月23日条)。この人物について信景や信方に充てる説もあるが、義昭に仕えていた両名よりも、甲斐にいたとみられる(三郎)信由が殺害された話が誤伝された可能性が高い。

参考文献

  • 木下聡「若狭武田氏の研究史とその系譜・動向」木下 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第四巻 若狭武田氏』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-192-9



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