武則天の愛娘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:50 UTC 版)
高宗の末娘として生まれた。8歳の時、一度出家して太平の道号を授けられる。母の武則天は、自分と容姿や性格がよく似ていた娘の太平公主を寵愛し、吐蕃から公主の降嫁を願う申し出があった際も、決して許さなかった。 681年、薛紹(城陽公主の子で従兄弟にあたる)に嫁して二男二女を生んだものの、夫は皇族の李沖(越王李貞の子)の謀叛に連座して捕らえられ獄死した。続いて690年、武照が伯父の武士譲の孫の武攸曁(武懐運(名は弘度)の子)の妻を処刑し、太平公主は武攸曁に再嫁して二男二女を生んだ。
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