橋口行彦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 橋口行彦の意味・解説 

橋口行彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 15:09 UTC 版)

橋口 行彦
はしぐち ゆきひこ
生年月日 (1883-10-22) 1883年10月22日
出生地 日本鹿児島県
没年月日 (1963-07-28) 1963年7月28日(79歳没)
死没地 日本兵庫県
出身校 東京帝国大学卒業
旧制第七高等学校造士館卒業
前職 鉄道技師、串木野町農業会長
所属政党 無所属[1]
初代 串木野市長(民選初代 串木野町長)
当選回数 2回
在任期間 1947年4月8日1950年10月1日市制施行) - 1955年4月30日
テンプレートを表示

橋口 行彦(はしぐち ゆきひこ[2]1883年10月22日[2] - 1963年7月28日[3])は日本政治家鉄道技師・官僚。鹿児島県串木野市初代市長、鉄道大臣官房研究所所長。

経歴

鹿児島県生まれ[3]串木野市(現いちき串木野市)出身[2]。1907年7月第七高等学校造士館第二部(工科志望)卒業[4]。1912年7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し[5]、鉄道院(後に鉄道省と改称)に入って技手となり、1918年11月技師に昇進[5][6]。1923年8月から1925年10月に鉄道省在外研究員として欧米留学[5]。1935年6月、鉄道省監督局技術課長となる[5][6]。1936年7月15日、鉄道大臣官房研究所(現鉄道総合技術研究所)所長に就任[7]。在任中の1937年2月、国際鉄道会議日本政府代表委員としてフランス出張[5]。また、発明奨励委員会委員、工業品企画統一調査委員、学術研究会議工学研究委員会委員、日本学術振興会評議員、学術部委員、科学審議会委員なども務めた[2]

1940年2月19日に鉄道大臣官房研究所所長を退職[7]京浜電鉄工務部長に就き[5]、その後東京急行電鉄技術研究所次長、監査部長[8]。1946年3月串木野町農業会長となる[5]。1947年4月、初の民選による串木野町長に当選[9]。1950年10月1日の市制施行により初代串木野市長となり、1951年4月市長再選[10]。任期中、新学制に基づく中学校建設、上水道の整備、消防本部発足などを実施した[6]。計2期務めて1955年4月30日に市長退任[6]。1963年7月28日、兵庫県宝塚市の自宅で死去(79歳没)[3]

脚注

  1. ^ 読売新聞社 編『読売年鑑 昭和27年版』読売新聞社、1951年、687頁。
  2. ^ a b c d 人事興信所 編『人事興信録 第18版 下』人事興信所、1955年、は12頁。
  3. ^ a b c 『鉄道技術研究資料』第20巻第9号、日本国有鉄道鉄道技術研究所 監修、研友社、1963年9月、397頁。
  4. ^ 第七高等学校造士館 編『第七高等学校造士館一覧 自昭和14年4月至昭和15年3月』第七高等学校造士館、1939年8月15日、136頁。
  5. ^ a b c d e f g 朝日通信社 編『新日本名士録』朝日通信社、1951年、552頁。
  6. ^ a b c d 歴代知事編纂会 編『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み 第3巻』歴代知事編纂会、1985年5月10日、766頁。
  7. ^ a b 交通博物館 編『交通博物館50年史』交通博物館、1972年10月14日、57, 59頁。
  8. ^ 人事興信所 編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年、ハ19頁。
  9. ^ 『選挙名鑑 衆議院・參議院・知事・市町村長 4月』毎日新聞社、1947年6月、9, 188頁。
  10. ^ 串木野市教育委員会事務局内 串木野市郷土史編集委員会 編『串木野郷土史』串木野市教育委員会、1962年12月、548頁。
公職
先代
市政施行
鹿児島県串木野市長
1950年 - 1955年
次代
平瀬實武
先代
平瀬實武
鹿児島県串木野町長
1947年 - 1950年
次代
市制施行



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  橋口行彦のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「橋口行彦」の関連用語

橋口行彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



橋口行彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの橋口行彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS