榎田竹林
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/23 04:14 UTC 版)
榎田竹林 | |
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誕生 |
榎田圭太良 1898年??月??日 静岡市 |
死没 | 1974年??月??日 |
職業 | 川柳家 |
言語 | 日本語 |
国籍 |
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最終学歴 | 静岡県立静岡中学校 |
配偶者 | 榎田柳葉女 |
榎田 竹林(えのきだ ちくりん、1898年(明治31年) - 1974年(昭和49年)[1])は、川柳作家。本名は圭太良[1](または桂太郎[2])。静岡市出身。
人物・略歴
1916年(大正5年)3月、静岡県立静岡中学校卒業[2]後、教職に就き、のち上京[1]。川柳栗吟社同人として活躍[1]。1923年(大正12年)に帰省、静岡川柳社を興す[1]。以後門弟の育成に努め、1966年(昭和41年)4月、静岡県川柳協会会長[1]。その間、静岡刑務所篤志面接委員、静岡新聞、NHKの文芸選者などを務め、静岡市教育文化功労者、静岡県文化奨励賞を受賞[1]。
静岡市登呂公園に句碑が建ち、後に静岡市常磐公園に移され現在に至っている。夫人は川柳作家の榎田柳葉女(りゅうようじょ)[3]。竹林とともに、おしどり川柳作家として知られた。
月といる窓のひとゝき真人間 竹林 おもいでのどこにもそばにうちの人 柳葉女
著書
- 句集鎹 : 榎田竹林夫妻句集 川柳おもいで吟社 1973
栄典
脚注
- ^ a b c d e f g 『静岡大百科事典』97頁。 静岡新聞社 昭和53年3月
- ^ a b 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 50頁。
- ^ コトバンク 20世紀日本人名事典 榎田柳葉女
外部リンク
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