業房との結婚年の推測
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 18:01 UTC 版)
竹内理三は、建久2年(1191年)に行われた栄子の五十講逆修を重視し、この年に栄子が50歳と推定した。これに対し杉本苑子は、「五十講」に対し経典を講ずる日数によって区別されるものであり、また逆修とは生前にあらかじめ自らのために、あるいは後世のために仏事を修して冥福を祈ることであって、平安時代も末期になるほどこのような例は盛んに行われているとして、逆修日と施主の年齢は関係がないと解釈している。生没年が明らかである次男教成と、官位の進み具合、婚姻事情から類推して、結婚年は長寛1年か2年(1163年 - 1164年)頃、また栄子の誕生は久安5年(1149年)頃のことと推測している。
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