森古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/10 17:17 UTC 版)
森古墳群(もりこふんぐん)は、大阪府交野市森にある古墳群。史跡指定はされていない。
概要
大阪府北部、生駒山系の妙見山から西に延びる丘陵尾根上に築造された前期古墳群である[1]。前方後円墳4基(1-4号墳)・前方後方墳1基(6号墳)・円墳1基(5号墳)の計6基から構成される。
古墳群のうち1号墳(雷塚古墳)は、前方部がバチ形に開く大型前方後円墳である。後円部では3段築成、前方部では2段築成で、墳丘長は106メートルを測る。墳丘外表で葺石・埴輪は認められないが、壺形土器片が採集されている。また6号墳(鍋塚古墳)は、古墳群唯一の前方後方墳である。発掘調査が実施されており、葺石が認められ、竪穴式石室の構築が確認されている。
築造時期は、古墳時代前期頃と推定され、交野地域では中期古墳群である交野車塚古墳群に先行する。特に雷塚古墳・鍋塚古墳は北河内地方における出現期古墳として注目されるほか、付近の森遺跡で確認された鍛冶遺構との関連性も示唆される。
遺跡歴
- 1980年(昭和55年)、小学生が壺形土器片を発見。踏査によって古墳群として発見[2]。
- 1995年(平成7年)、6号墳(鍋塚古墳)のトレンチ調査(交野市教育委員会、1996年に報告)。
- 2000年(平成12年)、6号墳(鍋塚古墳)のトレンチ調査(交野市教育委員会、2003年に報告)。
- 2025年度(令和7年度)、測量調査(関西大学)[3]。
一覧
古墳名 | 墳丘 | 埋葬施設 | 出土品 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
1号墳(雷塚古墳) | 前方後円墳 | 墳丘長106m | 壺形土器片 | 箸墓古墳の1/3相似形 | |
2号墳(向山古墳) | 前方後円墳 | 墳丘長58m | |||
3号墳(山ノ神古墳) | 前方後円墳 | 墳丘長46m | 円筒埴輪片 | ||
4号墳 | 前方後円墳 | 墳丘長50m | |||
5号墳 | 円墳 | 直径15m | 二重口縁壺形土器片 | ||
6号墳(鍋塚古墳) | 前方後方墳 | 墳丘長65m | 竪穴式石室 |
関連施設
- 交野市立歴史民俗資料展示室(交野市倉治、交野市立教育文化会館内) - 森古墳群の出土品を展示。
脚注
- ^ a b 日本古墳大辞典 1989.
- ^ 「広報かたの」207号 (PDF) 、交野市役所総務部、1980年(リンクは交野市ホームページ)。
- ^ 【公募研究班】交野市森古墳群の基礎的研究-鍋塚古墳の検討を中心に-(関西大学ホームページ)。
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 玉井功「森古墳群」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『森古墳群発掘調査概要』交野市教育委員会〈交野市文化財調査概要1983-3〉、1983年。
- 『交野市史』 考古編、交野市、1992年。
- 『交野市埋蔵文化財発掘調査概要』 平成7年度、交野市教育委員会、1996年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 『鍋塚古墳2000-1次調査 有池遺跡2002-1次調査 -大阪府交野市における慶長・伏見地震の爪痕-』交野市教育委員会〈交野市埋蔵文化財調査報告2002-II〉、2003年。
関連項目
- 交野車塚古墳群
- 森古墳群のページへのリンク