桜井元政とは? わかりやすく解説

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桜井元政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 17:38 UTC 版)

 
桜井 元政
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正20年(1592年)4月から文禄4年(1595年)9月までの間[1]
改名 桜井亦吉(幼名[1][2]→桜井元政
別名 通称:小三郎[1][2]→小左衛門尉[1][2]
主君 毛利輝元
氏族 清和源氏桜井氏[3]
父母 父:桜井就綱[1]、母:長屋吉親の娘[1]
兄弟 新右衛門[1]元政、元貞[1]
末長隆通の娘[1]
女(桜井元実室)[1]、女(福間元之室)[1]
養子:元実(平佐元忠の三男)[1]
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桜井 元政櫻井 元政(さくらい もとまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏の譜代家臣で、毛利輝元の側近を務める[1]。父は毛利元就の側近として活躍した桜井就綱[1]

生涯

安芸国高田郡吉田のを本拠地とする国人毛利氏の譜代家臣である桜井就綱の次男として生まれ[1][2]毛利輝元の側近として仕える[1]

天正20年(1592年)4月から始まる文禄の役で毛利輝元に従って朝鮮半島に出兵したが、出兵中に朝鮮半島で戦死した[1]

元政が戦死した具体的な年月日や場所は不明だが、文禄の役で戦死したとなると、毛利軍が釜山に上陸した天正20年(1592年)4月22日[4]から、毛利軍の中で最後まで朝鮮半島に残っていた天野元政小早川秀包が帰国した文禄4年(1595年)9月上旬[5]までの間になる[注釈 1]

元政に男子は居なかったため、平佐元忠の三男で元政の長女と婚姻した桜井元実が婿養子として家督を相続した[1]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、毛利輝元は文禄2年(1593年)8月初めに帰国している[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 萩藩諸家系譜 1983, p. 191.
  2. ^ a b c d 『閥閲録』巻56「櫻井半左衛門」家譜。
  3. ^ 萩藩諸家系譜 1983, p. 189.
  4. ^ 中野等 2021, p. 6.
  5. ^ 中野等 2021, p. 31.
  6. ^ 中野等 2021, p. 16.

参考文献




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