桑原八司とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 桑原八司の意味・解説 

桑原八司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 04:45 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

桑原 八司(くわはら やつし、1869年5月24日明治2年4月13日[1]) - 没年不明)は、明治時代後期から大正時代の朝鮮総督府官僚文部官僚。咸鏡北道長官。忠清南道長官(知事)。

経歴

桑原苞の長男として岐阜県に生まれ、1875年(明治8年)7月に家督を相続する[1]1893年(明治26年)東京帝国大学法科大学を卒業する[1]。群馬県属、文部省属[2]宮城岩手両県への出張[3]、香川県属を経て[4]、秘書官として朝鮮総督府に出仕[5]。咸鏡北道長官を務めたのち[1][6]、忠清南道長官(のち知事)に転じた[7]1921年(大正10年)9月25日、退官した[8]

著作

  • 閲『教育法規類纂』南中舎、1900年。
  • 閲『小学校書方教授法』香川県師範学校同窓会、1905年。
  • 『機関説の排撃』帝国在郷軍人会本部、1935年。

親族

脚注

[ヘルプ]

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  桑原八司のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桑原八司」の関連用語

桑原八司のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桑原八司のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桑原八司 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS