桂藤誠
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桂 藤誠(かつら とうせい)は上方落語の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。
- 初代 - 詳細不明。
- 2代目 - 本項にて記述。
2代目桂 藤誠(かつら とうせい、生年不詳 - 1908年1月5日)は、上方落語家。本名、大久保 甲子藤。
2代目 | |
本名 | 大久保 甲子藤 |
---|---|
生年月日 | 不詳年 |
没年月日 | 1908年1月5日 |
師匠 | 6代目桂文治 3代目桂藤兵衛 |
名跡 | 1.桂文如(? - 1894年) 2.2代目桂藤誠(1894年 - 1908年) |
活動期間 | ? - 1908年 |
活動内容 | 上方落語 |
家族 | 桂三木丸(実子) |
所属 | 藤明派 互楽派 |
経歴
幕末頃、旗本の家に生まれたが、芸事が好きで、劇場や寄席の楽屋で鳴物、声色、噺を覚えるようになる。
その後高座に上がるようになり、最初は6代目桂文治の門で桂文如の名を貰った。文治の門下だったことから関東地方巡業が多く、東京で流行っていたステテコ踊りを明治20年代に京都で初めて演じた。
1894年5月、3代目桂藤兵衛の門下になり、藤誠を名乗った。
芸は落語よりもステテコ踊りや皿廻し、手品を得意とした。師匠が設立した「藤明派」に真っ先に参加、解散後は残党を集めて「互楽派」を立ち上げた。
実の子は桂三木丸。
出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 古今東西噺家紳士録
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