根市寛貴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/03 10:09 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | 青森県三戸郡名川町(現・南部町) |
生年月日 | 1982年10月21日(42歳) |
身長 体重 |
177 cm 71 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト4位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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根市 寛貴(ねいち ひろたか、1982年10月21日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
高校3年時の2000年、夏の甲子園に出場。大会最速の146km/hを記録した。2回戦10-8丹原、3回戦4-3九州学院、準々決勝戦2-1樟南と勝ち進み、青森県勢として1969年三沢高校以来のベスト4に進出。準決勝で、優勝した智弁和歌山に5-7と敗退、惜しくも決勝戦進出はならなかった。大会中は背番号「3」で投手兼外野手を務めており、打順は5番、準々決勝以外はリリーフでの登板だった。右投げのオーバースローから、スライダー、カーブ、SFFを武器とした。
同年のドラフト会議で読売ジャイアンツに4位指名を受け、入団。2004年、三澤興一とのトレードで大阪近鉄バファローズに移籍。
2004年10月6日、近鉄から戦力外通告を受ける[1]が、新設された東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。楽天創設時の唯一の東北出身選手となる。
2006年シーズン終了後、引退を決意(2006年10月13日付けで任意引退選手となった)。球団は育成選手としての契約を持ちかけたが、引退することとなった。8月27日の青森県営野球場での二軍・対ロッテ戦が青森での現役最後の登板となった。
2007年、楽天ジュニアコーチに就任。選手・コーチとともに仙台市を中心とした小学校訪問を行ったり、「楽天イーグルス・BASEBALL SCHOOL」の常勤講師や、同球団が主催する少年野球塾のコーチとしての活動を始める。楽天ジュニアコーチは計5名おり、他には安部理、益田大介、中濱裕之、今関勝が就任している。
2008年、本人の意思により、同年限りでジュニアコーチを退任。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 43 (2001年)
- 63 (2002年 - 2003年)
- 56 (2004年 - 2006年)
脚注
関連項目
固有名詞の分類
日本の野球選手 |
比嘉寿光 金子勝美 根市寛貴 広瀬習一 甲藤啓介 |
読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 |
ゲーブ・キャプラー 東野峻 根市寛貴 広瀬習一 岡島秀樹 |
野球指導者 |
河村英文 南村侑広 根市寛貴 山口高志 高山郁夫 |
大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 |
佐藤竹秀 ラルフ・ブライアント 根市寛貴 ナイジェル・ウィルソン 武藤孝司 |
東北楽天ゴールデンイーグルスの選手 |
戸村健次 藤原紘通 根市寛貴 坂克彦 ドミンゴ・グスマン |
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