栄螺山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:39 UTC 版)
前田家12代前田斉広が建設した竹沢御殿は、同13代前田斉泰に取り壊され、竹沢庭の改修が行われた。1837年(天保8年)には、泉水の付け替え、掘り足しの工事が行われ、掘った排土を用いて、栄螺山が築かれた。1839年(天保10年)には、山頂に三重の石塔が建てられた。この石塔は、真龍院と栄操院が、斉広の供養のために建立したもので、戸室山から切り出した石で造られている。
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