柳沢信安とは? わかりやすく解説

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柳沢信安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 09:48 UTC 版)

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柳沢 信安(やなぎさわ のぶやす、元和5年(1619年) - 寛文10年5月3日1670年6月20日))は、江戸幕府旗本柳沢安吉の長男。母は窪嶋孫兵衛の娘。通称は長九郎。子に柳沢時憲、匂坂六郎五郎妻がいる。妻は太田吉宗の娘。

家督相続前の寛文10年(1670年)に父安吉に先立ち死去したため、貞享2年(1685年)に子の時憲が安吉の家督を継いだ。

略歴

※日付は旧暦

  • 正保3年(1646年)3月20日 - 徳川家綱付きとなり、同年8月24日三丸の番を勤める
  • 慶安3年(1650年)9月4日 - 大番となり、蔵米200俵を賜る
  • 寛文7年(1667年)2月18日 - 新番に転任
  • 寛文8年(1668年)12月25日 - 50俵を加増される(都合250俵)
  • 寛文10年(1670年)5月3日 - 死去。享年52。月桂寺に葬られる。法名は昌節

参考文献




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