林山主とは? わかりやすく解説

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林山主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/18 11:19 UTC 版)

林 山主(はやし の やまぬし、天平21年(749年) - 天長9年7月28日832年8月27日))は、平安時代初期の貴族正六位上・林海主の子。官位従四位下縫殿頭

出自

林氏は八多氏の一族。元は姓であったが、延暦6年(787年)に山主の父・海主が朝臣姓を与えられている[1]

経歴

嵯峨朝初頭の弘仁元年(810年従五位下に叙せられる。

弘仁13年(822年内位従五位下に叙せられると、天長3年(826年)従五位上、天長6年(829年正五位下と嵯峨朝末から淳和朝にかけて順調に昇進した。またこの間、諸陵頭縫殿頭を歴任し、但馬権介も兼ねた。天長8年(831年従四位下に至る。

天長9年(832年)7月28日卒去享年84。没後の天長10年(833年)に八多朝臣姓を追贈された。

人物

公平な性格で、人に対する愛憎の気持ちを持つことがなかった。古くからの廷臣で声望のある国家の功臣であった[2]

官歴

日本後紀』による。

脚注

  1. ^ 続日本紀』延暦6年6月21日条
  2. ^ 『日本後紀』天長9年7月28日条

参考文献




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