林俊廷とは? わかりやすく解説

林俊廷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/04 13:15 UTC 版)

林俊廷
プロフィール
出生: 1876年光緒2年)
死去: 1933年
中華民国広西省寧明県
出身地: 広東省廉州府防城県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 林俊廷
簡体字 林俊廷
拼音 Lín Jùntíng
和名表記: りん しゅんてい
発音転記: リン ジュンティン
ラテン字 Lin Chün-t'ing
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林 俊廷(りん しゅんてい)は、中華民国の軍人。旧広西派に属す。旧名は阿保莆田

事跡

初めは塩商人であったが、その後緑林の徒となった。1902年光緒28年)、朝に帰順して軍人となる。以後、管帯、督帯、統領と順調に昇進した。

1913年民国2年)4月、巡防第2軍統領となる。1916年(民国5年)8月、桂林鎮守使に任命された。1917年(民国6年)10月、桂軍第2軍総司令に任命され、1920年(民国9年)、桂平鎮守使となる。

1923年(民国12年)1月、林俊廷は広西自治軍司令を自称し、同年3月、広西省省長代理を兼任した。11月、広東八属軍務督弁に任命された。しかし1924年(民国13年)9月、陳炯明配下の鄧本殷に敗れ、貴県(現在の広西チワン族自治区貴港市)に撤退する。

1925年(民国14年)1月、林俊廷は雲南省唐継尭に与し、建国聯軍鄂桂辺防督弁兼広西省長に任命された。しかし同年7月、新広西派(新桂系)の李宗仁に大敗して下野した。

1933年(民国22年)、寧明県にて死去。享年58。

参考文献

  中華民国北京政府
先代:
劉震寰(広西綏靖処督弁)
広西自治軍司令
1923年1月 - 7月
次代:
陸栄廷(広西辺防督弁)




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