松沢俊夫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松沢俊夫の意味・解説 

松沢俊夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 21:42 UTC 版)

松沢 俊夫(まつざわ としお、1933年8月29日 - 2020年9月22日)は、東京都出身の競馬評論家

研究ニューストラックマンの弟・松沢昭夫は、かつて岡部幸雄のエージェントとしても活躍。

経歴

父は騎手[1]。幼少の頃から馬と接して育ち、3歳から中山競馬場の厩舎を遊び場として育つ[1]。5歳の時に遊び相手の馬を追い掛け回すあまり、後ろ脚で頭部を蹴られて瀕死の重傷を負うが、奇跡的に一命を取りとめる[1]

1951年トキノミノルが勝った皐月賞の時に専門紙競馬研究へ入社[1]。以降、ラジオ関東ラジオたんぱの解説者を経て[1]1984年から2002年まで中央競馬ワイド中継・ハイライトCTCTVKTVS)に出演。ハイライトは1984年4月7日の第1回から阿部幸太郎と共に出演し、番組後半の桜花賞展望ではダイアナソロン(3番人気1着)を1番手評価したが、これを聞いたゲストの加藤みどり声優)が「そんなに松沢さんがダイアナソロンを推していらっしゃると…」と、自身の本命ファイアーダンサー(2番人気9着)との間で迷っていた[2]

紙面ではコラム「ズバリこの馬」[1]「返し馬判断」[3]を担当し、1995年東京優駿タヤスツヨシジェニュインの一点を的中[1]作家安部譲二は自身の著書の中で「パドック解説でいろいろ馬鹿なことをいう連中の中で、松沢俊夫には馬を見る目があります。専門紙の『競馬研究』で「返し馬判断」をやっていますが、その記事に彼の能力の片鱗がうかがえます。いいところを見ています。」[3]と評価している。

その後も毎週、美浦トレーニングセンターで調教を取材し、グリーンチャンネルJRAでの調教VTR解説を担当[1]

退社後は2003年から競馬情報サイト「ホースシューズ」で執筆していたが、2017年引退[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 競馬解説者 松沢俊夫 プロフィール
  2. ^ スタッフの四方山話 第154話(中央競馬ワイド中継・ハイライト)
  3. ^ a b 安部譲二「極道の恩返し 安部譲二 ワルの馬券学」文藝春秋1987年5月1日ISBN 4890367128、p233。
  4. ^ 今週の調教から



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松沢俊夫」の関連用語

松沢俊夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松沢俊夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松沢俊夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS