松本 喜三郎とは? わかりやすく解説

松本喜三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 13:38 UTC 版)

松本 喜三郎(まつもと きさぶろう、1825年文政8年) - 1891年明治24年)4月30日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した日本の人形師。作品は生人形と称された。

経歴

肥後国(現・熊本県)の商家に生まれる。早くから様々な職人技を覚え、日用雑貨を用いて人物などを仕立てる「造りもの」を手がけた。20歳の頃生きた人と見まごう等身大の人形を作ったので「生人形」と呼ばれた。そのまるで生きてるようなリアリズムは、幼き日の高村光雲にも強い感動を与えた。

やがて数十体の人形にテーマ性を持たせて製作し展示するようになった。

作品

歌川芳艶「来ル正月二日ヨリア浅草奥山ニテ興行」。正月の浅草に松本喜三郎製作の等身大人形が展示される(1857年(安政3年))
  • 幕末の1854年(嘉永7年)以降、大坂(現在の大阪)難波新地に於いて「鎮西八郎島廻り」、江戸(現在の東京)にて「浮世見立四十八癖」他を見世物にし興行した。
  • 維新後の1871年(明治4年)-1875年(明治8年)、「西国三十三所観音霊験記」を浅草の奥山で興行を行った。
    • この作品は西日本の各地を巡回し、後にお里沢市で有名な人形浄瑠璃「三拾三所花野山」(「壺坂」)の祖形となった。そのうちの「活人形谷汲観音像」が熊本市の浄国寺に安置されている [1]
  • 熊本県熊本市来迎院に「活人形聖観音菩薩立像」が安置されている(有形文化財[2]
  • このほか桐生八木節まつりの山車に用いられた「桐生祇園祭「四丁目鉾」生人形素盞嗚尊」(桐生市本町四丁目自治会蔵)、絶作の「本朝孝子伝」などがある。

参考文献

関連項目

脚注


松本 喜三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 10:25 UTC 版)

つばき、時跳び」の記事における「松本 喜三郎」の解説

実在した生き人形師。つばきを生き人形モデルにしたいと申し出る

※この「松本 喜三郎」の解説は、「つばき、時跳び」の解説の一部です。
「松本 喜三郎」を含む「つばき、時跳び」の記事については、「つばき、時跳び」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「松本 喜三郎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松本 喜三郎」の関連用語

松本 喜三郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松本 喜三郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松本喜三郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのつばき、時跳び (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS