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松木朝彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 07:02 UTC 版)

 
松木 朝彦
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 1827年10月11日文政10年8月21日
死没 1889年明治22年)7月12日
主君 仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族 度会氏松木家
父母 父:松木範彦
子供 美彦、藤波名彦
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松木 朝彦(まつき ともひこ、文政10年8月21日1827年10月11日〉 - 明治22年〈1889年7月12日)は、江戸時代末期の公卿

生涯

文政10年8月21日1827年10月11日)、松木範彦の子として生まれた[1]

文久2年5月9日1862年6月6日)、従三位に叙され、公卿非参議)に列せられた[2]。このとき外宮五禰宜であったが、同年4月22日(1862年5月20日)に外宮一禰宜檜垣常善が薨去したことにより[3]、のちに一階昇り、外宮四禰宜となった[4]。『公卿補任』では、明治元年(1868年)まで外宮四禰宜であったことが見える[5]

明治5年3月15日1872年4月22日)、隠居し、家督を長男美彦に譲った[1]

明治22年(1889年2月11日大日本帝国憲法公布に合わせて、特旨を以て改めて従五位に叙された[6][7]。同年7月12日、卒去した[8][1]

脚注

出典

  1. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』下巻, p. 580.
  2. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 543, 孝明天皇文久二年条.
  3. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 542, 孝明天皇文久二年条.
  4. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 552, 孝明天皇文久三年条.
  5. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 590, 明治天皇明治元年条.
  6. ^ 『官報』号外, p. 1, 「叙任及辞令」.
  7. ^ 『官報』第1683号, p. 2, 「叙任及辞令」.
  8. ^ 『官報』第1817号, p. 2, 「宮廷録事:華族卒去」.

参考文献

行政文書




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