松平武修
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松平 武修(まつだいら たけなが、1866年1月18日(慶応元年12月2日)[1] - 1920年(大正9年)11月25日[2])は、明治時代の武家華族(子爵)。旧石見国浜田藩主越智松平家9代当主。
浜田藩主松平武聰の嫡男として誕生。幼名は熊若丸。祖父は水戸藩主の徳川斉昭。1873年3月23日、父が隠居したため家督を相続。1884年、子爵を授けられた。
親族
- 前妻:全子(旧対馬府中藩主宗重正伯爵の娘) 1869年 - 1888年
- 後妻:雅子(旧松江藩主松平定安伯爵の娘) 1870年 -
- 長男:松平武親 - 子爵を継ぐ。10代当主
- 次男:竹腰清修
- 三男:松平吉修 - 子爵。11代当主
- 女子:松平鈴子 - 画家の松島正幸と結婚。子は13代目を継いだ画家の松平武龍
脚注
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 越智松平家初代 1884年 - 1920年 |
次代 松平武親 |
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