松岡長康とは? わかりやすく解説

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松岡長康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 08:34 UTC 版)

松岡 長康(まつおか ながやす、1856年9月6日安政3年8月8日[1]) - 1908年明治41年)4月26日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

肥後国八代郡高田村(現・熊本県八代市)の地主の家に生まれる[1]漢学を学ぶ[1]。農業と商業を営み、学区取締、熊本県会議員、熊本県御用掛、県収税属、八代郡所得税調査委員となる[1]日清戦争後の1895年台湾総督府雲林支庁長、同法院雲林支部審判官、台中県支庁書記官となり[1][2]従七位に叙せられる[1]

1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において熊本5区から自由党公認で立候補して当選する[3]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再選[4]。衆議院議員を2期務め、1902年第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年死去。

親族

松岡家は中世より肥後国八代(現・熊本県八代市)において活躍してきた旧家で[5]、妻とはいとこ婚で、その弟に松岡富雄(台湾新聞社、台湾炭業各社長、zh:松岡富雄)、松岡悌三(社会主義新聞『熊本評論』発行人)、彼らの父親の松岡長寛も熊本初の県会議員で高田村村長、夭折の詩人松岡荒村も親戚[6][7][8]

脚注

  1. ^ a b c d e f 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年、401頁。NDLJP:778032 
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』595頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』29頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』34頁。
  5. ^ 肥後国八代郡高田手永松岡家文書について武井弘一ほか、地理歴史人類学論集 (7), 3-35, 2017-03-31 琉球大学法文学部
  6. ^ 松岡富雄『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  7. ^ 『日本の社会思想』隅谷三喜男、東京大学出版会、1968、p255
  8. ^ 『大逆事件と『熊本評論』』岡本弘、三一書房、1986、p184

参考文献

  • 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

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