東光寺_(岐阜県揖斐川町小野)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 東光寺_(岐阜県揖斐川町小野)の意味・解説 

東光寺 (岐阜県揖斐川町小野)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
東光寺
所在地 岐阜県揖斐郡揖斐川町小野135
位置 北緯35度29分24.6秒 東経136度35分25.2秒 / 北緯35.490167度 東経136.590333度 / 35.490167; 136.590333座標: 北緯35度29分24.6秒 東経136度35分25.2秒 / 北緯35.490167度 東経136.590333度 / 35.490167; 136.590333
山号 医王山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建年 平安時代前期
開基 最澄
中興 大宗宗弘
正式名 永正年間
札所等 西美濃三十三霊場6番札所
法人番号 9200005006063
テンプレートを表示

岐阜県揖斐川町小野に所在する医王山東光寺(とうこうじ)は臨済宗妙心寺派に属する寺院で、西美濃三十三霊場の6番札所である。揖斐川町には本稿で述べる寺院の他に揖斐川町若松にも天台宗の東光寺がある。

平安時代前期に伝教大師最澄が自刻の薬師如来を祀ったのが始まりと伝えられ、寺号は本尊の薬師如来の東方瑠璃光浄土に因んでいる。 その後時を経て荒廃するが、戦国時代永正年間に本巣郡慈雲寺住持の大宗宗弘が師の天縦宗受を勧請開山に迎え、臨済宗妙心寺派の寺院として再興した。 大宗宗弘の後はその法嗣、岐秀元伯が住持となり耕月庵、圓珠庵、獨笑庵及び梅林庵の4つの塔頭を建立した。 戦国時代を経て慶長6年(1600年)には初代揖斐藩西尾光教から黒印状と制札をもって保護されている。 元和9年(1623年)に揖斐藩が廃藩となり庇護を失うが、快伝宗薫和尚が再興を果たす。 現在の本堂及び鐘楼は天保年間に霊海玄妙和尚により建立されたものである。

本尊の薬師如来は乳薬師として母乳を授ける霊験があるとして信仰されているほか、所蔵する千手観音像が西美濃三十三霊場の本尊として祀られている。その他の寺宝として大宗宗弘和尚と岐秀元伯和尚の肖像がある。

参考文献

  • 揖斐郡志



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  東光寺_(岐阜県揖斐川町小野)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東光寺_(岐阜県揖斐川町小野)」の関連用語

1
90% |||||

2
30% |||||

東光寺_(岐阜県揖斐川町小野)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東光寺_(岐阜県揖斐川町小野)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東光寺 (岐阜県揖斐川町小野) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS