東住吉区針中野3丁目に残る石の道標とは? わかりやすく解説

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東住吉区針中野3丁目に残る石の道標

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:06 UTC 版)

南海平野線」の記事における「東住吉区針中野3丁目に残る石の道標」の解説

刻まれている文字は「はりみち」と「でんしやのりば」。前者江戸元禄年間から今も続き、「針中野」の地名の由来ともなった中野小児鍼」を指す。一方後者の「でんしやのりば」は、道標建立日が大正3年1913年4月とあることから、この月に開通した南海鉄道平野線中野駅であることは明らかである(なお、この近くを走る近鉄南大阪線針中野駅開業したのは、大正12年のこと)。建立者名は「新吉」とあり、当時中野小児鍼院長である。

※この「東住吉区針中野3丁目に残る石の道標」の解説は、「南海平野線」の解説の一部です。
「東住吉区針中野3丁目に残る石の道標」を含む「南海平野線」の記事については、「南海平野線」の概要を参照ください。

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