東俣の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 14:35 UTC 版)
「東俣町 (鹿児島市)」の記事における「東俣の成立」の解説
東俣という地名は南北朝期より見え、薩摩国満家院のうちであり、東俣名(名田)であった。 1195年(建久6年)の「加治木氏系図」に加治木八郎親平が四男業平に東俣などを分割して譲ったと記載されており、2年後の1197年(建久8年)の図田帳には業平は満家院の郡司として記載されている。その後加治木氏は承久の乱で没落したため、税所氏が満家院の郡司を引き継いだが、税所氏の勢力が後退すると島津氏の支配下に置かれるようになった。
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