東京鄭氏との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 22:46 UTC 版)
泰徳9年(1786年)6月、北に軍を向けた阮恵は海雲峠を越え、鄭氏が抑えていた富春を占拠した。7月には紅河デルタに侵攻し後黎朝の守護を宣言した。これにより東京鄭氏は内部分裂を起こし敗走した。昇龍(現在のハノイ)に入城した阮恵は、皇帝顕宗(中国語版)によって元帥に任じられその九女の黎玉昕(中国語版)を娶ったが、顕宗は翌日に崩御。孫の昭統帝が即位したが、阮恵はこれを軽んじ昇龍を放棄した。 泰徳10年(1787年)4月、阮岳は昇龍の昭統帝を放置したまま、歸仁で皇帝を称した(泰徳帝)。また北平王阮恵を富春、北定王阮侶を嘉定に置き南定王に封じた。
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