東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 地域・地名 > 国家・自治体 > 国名 > かつてバルカンに存在した国家 > 東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州の意味・解説 

東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 19:19 UTC 版)

東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州
Српска област Источна Славонија, Барања и Западни Срем
1995年 - 1998年
(国旗) (国章)

東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州の位置
公用語 セルビア語
首都 ヴコヴァル
元首等
xxxx年 - xxxx年 不明
変遷
成立 1995年
クロアチア領に復帰 1998年
時間帯 UTC 中央ヨーロッパ時間DST: 中央ヨーロッパ夏時間
現在 クロアチア

東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州(ひがしスラヴォニア・バラニャおよびにしスレム・セルビアじんじちしゅう、セルビア語: САО Источна Славонија, Барања и Западни Срем / SAO Istočna Slavonija, Baranja i Zapadni Srem)は、クロアチア領内に成立したセルビア人による自治地域。元は1991年クライナ・セルビア人共和国を構成した州のひとつであった。この自治州は、地理的に東スラヴォニア、バラニャ、西スレム(シルミア、あるいはスリイェムとも)を含んでいる。

歴史

クライナ・セルビア人共和国同様、東スラヴォニア自治州はセルビア人議会によって設置が決められ、東スラヴォニアとバラニャ、西スレムを代表するものとされた。クロアチアとスロベニアの独立宣言に対抗して、1991年6月25日に独立を宣言した。翌6月26日にはゴラン・ハジッチ(Goran Hadžić)がその初代大統領であると宣言された。

地域はクライナ・セルビア人共和国の一部として1991年から1995年まで存続した。1995年にクライナの主要部分がクロアチア軍の手に落ちた後、地域は国際連合国際連合東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム暫定統治機構(UNTAES)の監督下におかれ、1998年に平和裏にクロアチアに統合されるまで続いた。セルビア人からは沿ドナウ・クライナ(Podunavska Krajina)、クロアチア人からは沿ドナウ・クロアチア(Croatian Podunavlje)とも呼ばれたが、一般にはスレム・バラニャ州(Srem-Baranja Oblast)と呼ばれた。

人口

地域は多民族が入り混じっていた。戦争が始まる前、この地域の総人口は192,163人であり、47%にあたる90,454人はクロアチア人、32%にあたる61,492人はセルビア人、21%にあたる40,217人はその他(マジャル人ロマドイツ人ルシン人スロバキア人など)であった。

戦争中、109,500人のセルビア人がこの地域に居住していた。

人口集中地

地域の主な都市はヴコヴァル、ベリ・マナスティル(Beli Manastir)であった。その他にはボロヴォ(Borovo)、ダルダ(Darda)、ダリ(Dalj)、イロク(Ilok)などであった。

基礎自治体

自治州が存続していた間、地域には5つの基礎自治体があった。バラニャ地方のベリ・マナスティル、東スラヴォニア地方のダリおよびテニャ(Tenja)、西スレム地方のヴコヴァルおよびミルコヴツィ(Mirkovci)があった。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州」の関連用語

東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS