村岡美枝 (陸上選手)とは? わかりやすく解説

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村岡美枝 (陸上選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/09 14:02 UTC 版)

村岡 美枝
1932年
選手情報
フルネーム むらおか みえ
ラテン文字 Mie Muraoka
国籍 日本
種目 短距離走
生年月日 (1913-03-23) 1913年3月23日[1]
出身地 日本愛知県[1]
没年月日 没年不明
自己ベスト
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村岡 美枝(むらおか みえ、1913年3月23日 - 没年不明)は、日本陸上競技選手。専門は短距離走

来歴

シルヴィア・シドニー(中央)と並んだロサンゼルス五輪日本女子リレーメンバー

愛知県生まれ[1]。愛知県第一高等女学校(愛知県立明和高等学校の前身校の一つ)在学中の1930年にチェコスロヴァキアプラハで開かれた第3回国際女子競技大会 (1930 Women's World Gamesに代表選手として参加する(参加選手は6人で、人見絹枝、本城ハツ、中西みち、村岡美枝、渡辺すみ子、浜崎千代。人見以外は学生選手)[2][3]。このとき代表の中心としてチームを引率した人見が翌1931年に死去した際に、葬儀で「お姉さんは女子スポーツに貢献されました。その大きな足跡はけっして消えることがないでしょう。私たちは非力ですが、遺志をつぐよう全力を尽くして頑張るつもりです」と弔辞を読んだ[3]

1932年ロサンゼルスオリンピックで女子400メートルリレー走に出場、日本チーム(他に中西みち・土倉麻・渡辺すみ子)は5位に入賞した[1]

1932年の日本陸上競技選手権大会において、女子200m走で優勝[4]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d Mie Muraoka Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。
  2. ^ 浜田幸絵「女のスポーツをめぐる語り - 世界女子オリンピック(1926年・1930年)報道の分析」『島大言語文化』42号、pp.67 - 88
  3. ^ a b “オリパラこぼれ話 人見絹枝の生涯(下) 粉骨砕身、日本の女子スポーツ発展に奔走”. 毎日新聞. (2019年7月23日). https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20190723/mog/00m/050/005000c 2019年10月13日閲覧。 
  4. ^ 過去の優勝者・記録 女子200m”. 第97回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2021年3月21日閲覧。

関連項目




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