村山ヨシヱ
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むらやま よしえ
村山 ヨシヱ
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| 生誕 | 1924年10月28日(100歳) |
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| 配偶者 | 村山富市(1953年 - 2025年 死別) |
村山 ヨシヱ(むらやま ヨシヱ、1924年〈大正13年〉10月28日[1][2] - )は、日本の第81代内閣総理大臣であった村山富市の妻。大分県出身[3]。
経歴
大分県出身。太平洋戦争中は従軍看護婦を務め、戦後は大分共済病院(現:大分赤十字病院)の看護婦長を務めた[4]。1953年に村山富市が大分市議会議員選挙に初出馬した際に出会い、票を頼みに来た村山が病院勤めのヨシヱを見染めたことがきっかけで同年に結婚した[5]。村山の当選を機にヨシヱは病院の仕事を辞め、大分県庁の職員食堂の経営に転じる[5]。また、工業高校の保健衛生の講師も務めた[4]。その後、62歳のときに脊椎管狭窄症を発症して手術を行う。そのため、村山が1994年6月30日から1996年1月11日まで内閣総理大臣を務めた際は、ファーストレディとしての役目は二女の由利がつとめた[3]。2024年、夫の富市と共に夫婦揃って100歳を迎えた[1]。翌2025年10月17日、夫の富市が老衰のため死去[6]。
脚注
- ^ a b 「村山富市元首相が100歳に「家族と過ごせ幸せ」 歴代経験者で3番目の長寿」『大分合同新聞』2024年3月3日。オリジナルの2024年3月4日時点におけるアーカイブ。2024年9月14日閲覧。
- ^ 『人事興信録』 2巻《下》(42版)、人事興信所、2003年、む45頁。
- ^ a b 「総理大臣の妻たち」(小林吉弥、日本文芸社、1995年)
- ^ a b 竹内正浩『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』(実業之日本社、2017年)p.289
- ^ a b 小林吉弥. “天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 村山富市・ヨシヱ夫人(上)”. リアルライブ. 2021年4月13日閲覧。
- ^ “【速報】村山富市元首相が死去 101歳「村山談話」、大分県内初の総理大臣”. 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate (2025年10月17日). 2025年10月17日閲覧。
| 先代 羽田綏子 |
内閣総理大臣夫人 1994年6月30日 - 1996年1月11日 |
次代 橋本久美子 |
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