李端棻とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 李端棻の意味・解説 

李端棻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 21:09 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

李 端棻(り たんふん、Li Duanfen1833年 - 1907年)は、末の官僚。字は苾園

貴州省貴筑県(現在の貴陽市)出身。1863年進士となり、学政・刑部侍郎・礼部尚書などを歴任した。1889年、内閣学士の時に広東省郷試に主考として赴いたが、そこで受験生であった梁啓超を非常に高く評価し、後に従妹の李蕙仙を梁啓超の妻とした。1896年、京師大学堂の設立、各省の府・州・県に学堂の設置、図書館・精密機械工場・翻訳所・官報の設立を提言し、光緒帝の裁可を得た。さらに康有為・梁啓超を推挙し、変法運動を支援したが、戊戌の政変後に新疆省に流罪となった。後に赦されて郷里に帰り、貴州経世学堂の主講となった。

先代:
許応騤
礼部漢尚書
1898
次代:
廖寿恒



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  李端棻のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李端棻」の関連用語

李端棻のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李端棻のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李端棻 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS