木部直方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 05:33 UTC 版)
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 元亀2年(1571年)[注釈 1] |
死没 | 寛永10年6月5日(1633年7月10日)[1] |
改名 | 直時[1]、直方 |
別名 | 文次郎[1]、藤左衛門[1] |
戒名 | 清閑[1] |
墓所 | 栄松院(東京都文京区)[1] |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康、秀忠、家光 |
氏族 | 木部氏 |
子 | 直春、直重、木部文右衛門の室、水野間右衛門の室 |
木部 直方(きべ なおかた)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。徳川氏の家臣。
生涯
『寛政重修諸家譜』によれば、幼少期に父を亡くしたために遠江国浜松に住し、秋葉山本宮秋葉神社の先達職であった叶坊に育てられた[1]。天正9年(1581年)、徳川秀忠が3歳になった折、叶坊の推薦によって徳川家康に拝謁し、当時11歳であった直方は御伽として出仕し、御番を務めた[1]。後年、相模国大住郡に200石を領し、また代官も務めた[1]。
寛永10年(1633年)6月5日、63歳で没[1]。家督は長男の直春が継いだ[1]。直系はのちに改易されるが、庶流2家(直方の次男・直重の系統、直春の次男・直良の系統)が『寛政譜』編纂時点で旗本として存続している。
脚注
注釈
- ^ 『寛政譜』記載の没年・享年からの逆算。
出典
関連項目
- 木部貞朝 - 上州の国人。直方をその甥とする系譜がある。
- 木部直方のページへのリンク