朝明重男とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 朝明重男の意味・解説 

朝明重男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/30 07:58 UTC 版)

朝明 重男
基礎情報
四股名 朝明 重男
本名 山本 重男
生年月日 1914年3月25日
没年月日 1946年8月25日(満32歳没)
出身 三重県三重郡川越村(現・川越町
身長 174cm
体重 94kg
BMI 31.05
所属部屋 高砂部屋
得意技 右四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 十両3枚目
データ
初土俵 1931年3月場所(本中)
引退 1945年11月
備考
2012年6月8日現在

朝明 重男(あさけ しげお、1914年3月25日 - 1946年8月25日)は、三重県三重郡川越村(現・川越町)出身の大相撲力士。本名は山本 重男(やまもと しげお)。

来歴

1914年3月25日三重県三重郡川越村(現・川越町)で生まれる。1931年3月場所に本中で初土俵を踏むと、体重の軽さから重量力士との勝負であっさり敗れるなど、なかなか関取へ昇進できなかった。その欠点を激しい猛稽古で補って、1938年5月場所で念願の十両昇進を果たした。しかし、連日の猛稽古によって腰を負傷し、さらに負傷による自信喪失によって闘志が無くなったこと、それに追い打ちをかけるかのように新十両の場所で瞼を負傷して途中休場、一場所で幕下へ陥落した。1941年5月場所でようやく十両に復帰するが、以降は成績が伸び悩んだ。1943年5月場所に、四股名を朝明山から「朝明」に改名した。[1]

非常に験を担ぐ性格で、部屋から国技館まで徒歩4分ほどだったが、負けると同じ道は絶対に通らなかった。やがて負けが続いたことで通る道が無くなると、国技館と反対の方向に向かって歩き出して大きく迂回したり、同じ道でも歩く速さを抑えて30分かけて向かったら十両土俵入りに遅刻した。さらに、初日の前日の夜は「15日間勝つように」との意味合いで、枕元に塩の山を15個作って寝ていた。

1946年8月25日岐阜県での巡業中に連日の猛暑に耐えかねて木曽川で遊泳していたが、心臓麻痺を起こして急死した[1]。32歳没。

改名歴

  • 朝明山重男 → 朝明重男

脚注

  1. ^ a b 相撲人名鑑(朝明 重男)

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝明重男」の関連用語

朝明重男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝明重男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの朝明重男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS