最勝寺_(山梨県富士川町)とは? わかりやすく解説

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最勝寺 (山梨県富士川町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 22:17 UTC 版)

最勝寺さいしょうじ

客殿(2014年11月3日撮影)
所在地 山梨県南巨摩郡富士川町最勝寺
位置 北緯35度33分20.4秒 東経138度27分11.8秒 / 北緯35.555667度 東経138.453278度 / 35.555667; 138.453278座標: 北緯35度33分20.4秒 東経138度27分11.8秒 / 北緯35.555667度 東経138.453278度 / 35.555667; 138.453278
山号 最勝山
宗旨 高野山真言宗
本尊 聖観音菩薩
創建年 天平九年
札所等 甲斐百八霊場第九十番
文化財 正観世音菩薩像版木、鰐口、四季桜、観音堂付木造観音立像、歴代五輪塔群
法人番号 8090005005417
最勝寺
最勝寺 (山梨県)
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仁王門(2014年11月3日撮影)
観音堂(2014年11月3日撮影)

最勝寺(さいしょうじ)は、山梨県南巨摩郡富士川町最勝寺にある高野山真言宗の寺院。山号は最勝山。本尊は聖観音菩薩

歴史

巨摩郡大井郷に成立した大井荘域に属する。江戸時代の由緒によれば、748年天平20年)聖武天皇の勅願により奈良西大寺の「忍正」が開祖となって開創され、行基により観音像が安置され、弘仁年間(810年824年真言宗の寺院となったという。「忍正」は鎌倉時代の真言僧忍性であると推定されている。

江戸時代には江戸幕府の歴代将軍から朱印状が与えられていた。

文化財

甲斐市島上条の八幡神社
  • 山梨県指定文化財
    • 正観音菩薩像版木
    • 鰐口
室町時代の甲斐国守護武田信重志摩荘内・上条郷(甲斐市島上条)に鎮座する八幡神社に奉納した鰐口。嘉吉3年(1443年)12月晦日の年記を有する。

所在地

  • 山梨県南巨摩郡富士川町最勝寺2016-1

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