春家との同一人物説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 04:07 UTC 版)
忠家と春家とを同一人物とする説がある。 これは 父・興家が備前福岡の阿部善定の下に逃れた2年後に病死しているにもかかわらず、善定の娘との間に春家、忠家の二人を得ていること。 春家が守備したとされる砥石城、金山城、沼城などの拠点がことごとく忠家の記録と重なること。 春家と忠家の2人の功績・記録が資料によって入れ替わりが見られ、業績や合戦への参加記録も重なること。 春家の通称とされる「六郎兵衛」はごく一部資料のみで、古い資料には忠家と同じ「七郎兵衛」であること。 忠家の子とされ、直家の養子となった基家が春家の子とされる資料も多いこと。 などから、忠家と春家が同一人物という説である。
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