旧神田家別邸(稲村亭)とは? わかりやすく解説

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旧神田家別邸(稲村亭)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 00:44 UTC 版)

旧神田家別邸(稲村亭)
情報
施工 濱口武兵衛
構造形式 木造瓦葺[1]
建築面積 223 m² [1]
階数 平屋建[1]
竣工 1874年[1]
所在地 649-3503
和歌山県東牟婁郡串本町串本字寺前生879-1
座標 北緯33度28分11.0秒 東経135度46分42.5秒 / 北緯33.469722度 東経135.778472度 / 33.469722; 135.778472 (旧神田家別邸(稲村亭))座標: 北緯33度28分11.0秒 東経135度46分42.5秒 / 北緯33.469722度 東経135.778472度 / 33.469722; 135.778472 (旧神田家別邸(稲村亭))
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2019年12月5日[1]
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旧神田家別邸(稲村亭)(きゅうかんだけべってい とうそんてい)は、和歌山県東牟婁郡串本町串本字寺前生879-1にある建築物登録有形文化財

歴史

別邸の竣工

書院座敷

神田清右衛門家は串本有数の商家であり、多くの土地を所有する山林地主だったほかに、鯨漁などの事業も行った[2]。嘉永5年(1852年)の大飢饉の際、神田清右衛門家は村人らに米を施すなどして危機を救った[2][3]

1874年(明治7年)、12代当主の神田直堯(なおたか)によって無量寺の門前近くに建てられた[2]。大工は串本の濱口武兵衛であり、後見大工は上野の藤本清七[2]。神田直堯自身の隠居所であり、接待、祝事、仏事などにも用いられた[3]。1871年(明治4年)春に西牟婁郡有田村(現・東牟婁郡串本町有田)の稲村海岸に巨木が流れ着き、その巨木を用いて建てたことが稲村亭という通称の由来である[2]

保存と活用

2016年(平成28年)には土地と建物が神田清右衛門家から串本町に寄贈された[2]。2018年(平成30年)にはまちづくり会社である株式会社一樹の蔭が建物を取得し、2019年(令和元年)にはレストランの紀州原始焼 みなもが開店し、さらに同年7月1日にはNIPPONIA HOTEL 串本 熊野海道の一室となった[4]

2019年(令和元年)12月5日、「旧神田家別邸(稲村亭)」として登録有形文化財に登録された[1]。登録基準は「造形の規範となっているもの」。串本町の登録有形文化財は樫野埼灯台旧官舎に次いで2件目である[3]

建築

木造、桟瓦葺[1]。西面は入母屋造、東面は切妻造

脚注

  1. ^ a b c d e f g 旧神田家別邸(稲村亭) 文化遺産オンライン
  2. ^ a b c d e f 旧神田家別邸(稲村亭) わかやまの文化財
  3. ^ a b c 「国文化財登録証を伝達 串本の旧神田家別邸」『紀伊民報』2020年4月13日
  4. ^ 本州最南端で令和元年7月に開業した話題の古民家コンセプトホテルが、国の登録有形文化財へ! PR TIMES、2019年7月23日

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